厄除け観音として知られているが、正しくは真言宗・如意輪山蓮花院観音寺という。醍醐天皇時代の897~930年に開かれた寺で天皇の勅願所として栄え、当時は壮大な堂塔伽藍を備えていたという。1585年に豊臣秀吉の兵火で焼失したが、1670年頃に徳川頼宣が再建した。「紀伊続風土記」によると二月の初午は「遠近殊に群参して道路数里の間肩を摩し袖を連るに至れり」とあり、参拝者でにぎわった様子が記されている(紀ノ川市粉河町)。
山門の傍には「いのるみは いのちながたのくわんおんじ やくをさったの ちかいたのもし」と刻まれた歌碑が建てられている
ちなみに陰陽道の説によると、男は25,42,61、女は 19,33,61が厄年とされている。